1978-04-13 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第13号
これに伴い広島市では、ただちに市長粟屋仙吉を隊長に、助役、部長を幕僚とする地域国民義勇隊と、軍管理工場を単位とする職域国民義勇隊を編成した。 ということで、六月には法律ができると直ちに、いままでのものを総決算してやった。これは広島だけの問題ではない。広島はそういう状況において原爆を受けたから私は議論しておるわけですね。そういうことです。
これに伴い広島市では、ただちに市長粟屋仙吉を隊長に、助役、部長を幕僚とする地域国民義勇隊と、軍管理工場を単位とする職域国民義勇隊を編成した。 ということで、六月には法律ができると直ちに、いままでのものを総決算してやった。これは広島だけの問題ではない。広島はそういう状況において原爆を受けたから私は議論しておるわけですね。そういうことです。
これはたとえば「けふ義勇隊結成式 広島市 副隊長以下役員決定」とあって、市長粟屋仙吉が本部隊長、陸軍少将の河瀬健吉が副隊長、奥久登、これは古い代議士です、村上哲夫、これは新聞社の社長、田中好一、いま生きておる人ですが、そういう人々が副隊長で事務局を編成いたしまして、そしてその左側の表にあるように隊長が粟屋市長、それから連合町内会が大隊、それから中隊が町内会、小隊が隣組、そして分隊、こういう組織で組織
広島市では、市長粟屋仙吉を隊長とし、森下重格助役以下、助役・部長を幕僚とする地域義勇隊と、軍管理工場を単位とする職域義勇隊を編成した。地域義勇隊は東西の二個部隊に分かれ、東部隊長奥久登」云々とずっとあって、「小隊を編成した。